ドーガスの教え子については自明なので特筆しません。
ピーリャとユッシの登場です。
トゥルクの宿の一人娘で、ちょっとフィンランド語を話せる私に喜んで、どんどこどんどこ、あのね、それがね、と話しかけてくれた小さなプリンセスから名前を拝借しました。でも一年そこらしか勉強してなくってさ、そんなに喋れなくてごめんよ。
ドーガス、ユッシにおっさんと言われてむっとしてるけど、どうどう。子供からしたら、30過ぎなんておじさんおばさんよ。よその子の親の年齢だもの。
学生時代、出産を見舞った幼馴染の長男が小学三年生になっていて震えますが、それはそれ。それはそれだよぉ……。
場面は転じて295p、薄着のミルちゃんが寒そうの巻。
さらっとマントをかけるのを、さらっと書きおく。
「別に」の応酬はこの二人ならではになりました。
実際問題、夏だなぁとTシャツジーンズで古城の地下とかに潜ってみると、嘘みたいに寒いんですよね。外は外で、突然通り雨があったりするしで、マントや厚手のショール、パーカーは重宝しました。でも現地の人を見ると、日に焼けた肌を露出したままで、平気そうなんです。なんだろう、おかしいな、と思った瞬間には理解しましたね。体形が違うって。人種が違うのもありますが、やっぱりアングロサクソン系って線が太いんですね。骨の太さから異なるのがわかります。私がアジア人の85%縮小なのを差し引いても。
図書館の地下には、疑似神殿がありました。
水を地から天へと流す――超自然的な現象が魔法そのものですよね。
ルヴァが14才らしく小生意気な「わかってる感」を出すのがなんとも言えねえ。察しがいいといえばそうですし、早合点といえばまさにそう。
「ハイハイわかったわかった!」って、子どもっぽさだと思うんですよね。大概において本人はそうじゃないんですけど。わかりたい子どもの向上心を殺さず、へそを曲げさせず、いかにして理解させていくか。情緒と一緒に知識を与えねばならないので、教師というのは大変な仕事です。
サナキルヤはsanakirjaと書き、sanaは言葉、kirjaは本を意味します。
それで、辞書。事典。フィンランド語です。
『純白の抒情詩(以下リューリカ)』のサナの名前は、じつはここから来ています。
最初に闇があったのが宇宙科学で、最初に光があったのが神話世界です。
最初に言葉があったのは、キリスト教世界。
『リューリカ』読了の方にはもうおわかりでしょう。
時という原初の存在を内包する娘サナの意味が。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
新約聖書『ヨハネによる福音書』より
ほかにいろいろ〈水の髪〉〈海の契約〉とか専門用語っぽいものが並べられますが、エイノがつらつら並べ立てる言葉をいちいち拾うと時間が幾らあっても足りないので。この場の主題ではないものは掘らない主義なのです。いずれわかることですから。
何者かがほどこしたらしい封印を解いて、取り出した書物はそもそも魔術道具で……。
グレイの長所が反対に働いた一瞬です。
これからどうなっちゃうの。
ココでしおりなんてはさめない!
さあ、1-3-5へ。
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