2019年6月5日水曜日

〈制作秘話第十一回〉1-2-2

リシュナの祈り。
スィエル教関連で流れそうです。
この曲は三拍子。三拍子の曲と言えばメヌエット、といいたいところですが、こちらはワルツの気持ちに近いです。ワルツは円舞と書きますが、そのように円環をイメージした和声でできています。エコーがいい感じにリフレインしてきて楽できた曲です。
透明で神秘的な印象の少女――リシュナ・ティリア姫の純粋無垢な様子に胸を打たれた方もいらっしゃったんじゃないでしょうか。
その実、慣れ親しんだ場所や人の前では彼女なりの冒険やいたずら心をあらわにすることもあります。
「小さく悲鳴を上げると、詫びながら乳母に抱きついた」のくだりは、少女らしさ満開です。キュンとしてしまいますね。

107pから、リシュナと一緒に記憶をなぞる形で、先代女王夫妻の崩御とそのあとの子どもたちの様子を知ることができます。
人の思いを直観的に肌で感じ取り、理性で判断するグレイとリシュナの聡明さは、生まれと育ちによるものだなと思います。
幼くして家長になった兄グレイが孤独な決意をした理由とその姿を痛々しく感じたのは、妹リシュナだけではなかったはず。
そうそう。
実はここで暦が判明しますね。何気にね。
ヴァニアス歴1023年の〈処女の月〉です。
そして、従弟のアレクセイが登場し、彼とリシュナの関係性が判明することで、リンデン伯爵の目論見の一端が少し見えてきます。

フィナちゃんが出てきたら、ハイ、この曲。
Bメロは、リシュナの運命のテーマです。
どっかに使ってます、どこだっけ……。
ハープのアルペジオがヘミオラになってるのがにくいです。

そんなこんなで、グレイの旅のタイムリミットがうっすらと提示されたりします。
リシュナとフィナの危機感や、性格の差なども明確に感じられるやり取りがありますね。
フィナは兄と姉に守られながらのびのびと育った分、未だ真相からは遠ざけられていますが、持ち前のセンスで物事を直観的に理解しているようです。血の為せる業かしら。ただ、まだ8歳ですから、適切な言葉を選べるほどの語彙力はないのです。だから、言ってることが間違いじゃなくても、意図自体は姉には屈折して届いています。
「いつかわたくしも出会うのかしら。運命の人に……」
現実を重く受け止めながらも、その実、夢想家の一面をもつのはリシュナのほうだったり。
少女らしい、無邪気な空想の翼がいくあてもなく羽ばたいているような素の文が、彼女の清純さと本当の気持ちを物語っているのかもしれませんね。
1-2-2、おわり。

追記

106pリシュナの台詞は、スィエル教の精神を如実に伝える言葉だと思います。
知っている人がくすりとする部分でもあるのです。例えばココ。
「風に、空に、草に、花に、露に」
これはオペラ『フィガロの結婚』第一幕の六番、こまっしゃくれた色ぼけ小姓・ケルビーノのアリア”Non so piu,cosa son"の59小節目からの一節”all'aqua,all'onbra,ai monti, ai fiori,all'erbe,ai fonti,all'eco,all'aria,ai venti"のオマージュです。
「(私が語り見るのは愛のこと)水に、木陰に、山に、花に、草に、泉に、こだまに、風に(あるだろう愛のこと!)」
https://www.youtube.com/watch?v=QW7AD6K8DWo
ケルビーノは女とみれば下半身ごと反応するいわゆる思春期男子なので、素敵な言葉も上手なお歌も、そのすべてが(性)愛の道具なのですが……。ま、それはオペラのほうでお楽しみください。
ところで私は、副科声楽の試験でこちらを歌いました。ついでにオペラ試演会で本当にケルビーノをやったりもしました。懐かしいです。

音楽用語でいうところのアリア(伊;aria,英;air)は心情の吐露、つまりモノローグに値します。
七〇年代少女漫画の画面で考えると白いウニフラッシュとか、お花をバックにした「おお……!」みたいな、ああいう感じだと思ってもらえれば、わかりやすいでしょうか。
レチタティーヴォはその反対、ディアローグ。こちらはバッハのカンタータや受難曲でのエヴァンジェリストが歌唱する部分ですね。

ちょっと情報がつながってきて、ピンときた方もいらっしゃるかもしれないのですが。
風使いのフィナちゃんのサードネームがアリアだったり、セシルが風につぶやきを乗せるマナの歌だったり。つまり、そういうことなのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿