2019年6月25日火曜日

〈制作秘話第十九回〉1-3-2

双子のその後から、1-3-2、スタートです。
まだ船の上。
グレイがドーガスを説得するのを、ミルちゃんもしれっと助けてくれてるの、なんか良いよね。

やっときたよ、ロフケシアはヴィーサウデン!
また私の思い出話に付き合ってもらおうか。
ヴィーサウデンのイメージは、ノルウェー王国のベルゲンという街です。
ノルウェーに留学した私の大学同期娘と現地の学生の青年が恋に落ちて、私が院生やってるときに二人で日本に飛んできて、そいでまたノルウェーに移住したっていう二人組です。友達。
彼らが住んでいるので、留学を終えて夏のバックパッカーをやっているときに遊びに行きました。
ココ
https://www.tumlare.co.jp/guide/norway/bergen/
TOPの写真の景色を見るために、サマータイムのまっただ中、背中にでっかいバックパックを背負って、歩きましたとも、歩きましたとも。それがどれだけ楽しくて苦痛だったかは、グレイが代わりに教えてくれます。後で出てくるよ。
飛行機で行きましたが、本当はトロッコで山をつづら折りにこえたかったのね。海岸線も見えるし、とてつもない岩肌に敷かれた落っこちちゃいそうな線路の上をガタンゴトンするって聞いてたから。
でも、友達(彼氏のほう・現地民)が「なんもないよ、ほんと、景色しかないから、すぐ飽きるよ! 時間がかかるだけ」って言うからやめました。
あとあと、彼は色弱者で、緑が灰色に見えていると聞いて納得。そりゃ、景色あんま楽しくないよね。そのおかげで兵役を免れたんだけれども。出先の苦労はしておくべきだったかしら。てか、日本で先に教えといてよ。

と、いうことで、海から見たベルゲンはどんなかしら、と潮風を思い出しながら書いたのが251pからだったりします。
見上げたら視界の端から端まで青くって、まるで青いドーム、天蓋なのよ!
それからウミネコがうるさいったらないの。
物価がフィンランドよりも高くって、小銭もケチりながらだったわ。
……とか書いていると、ミルちゃんがグレイに旅の話をしてくれてるみたいになりますね。なりきりは恥ずかしいのでしないししたくないしだからTRPGにとてつもない食わず嫌いをしているのですが、なんだろう、心からすっと出てくる調子なら、別に平気です。

望遠鏡は一つしかないので、貸し借りしながら。なんかこれも甘酸っぱい。高校生が半分イヤホンしてるみたいな感じ。やったことあるよ。いらない情報だね。
上陸までのわくわく感って独特で、心がふわふわするんです。
ミルちゃんがロフケシアの話をしてくれるのはいいけれど、グレイの心に隙間風。だらりと右腕を落とした隙に望遠鏡があっさりと奪取されているぞ。
少しの間抜けも、なんだか愛おしい一瞬です。

さて、255pから、知らない男が突然出てきます。
記憶力が確かなあなたなら、スヴェリン金貨が一体何の意味をあらわすのか、明白だと思います。手紙の主も、コーヒーを頼んだ人物もね。

浜辺の風の中、ウミネコをおちょくるグレイに髭が生えてるなんて、みんな気づかなかったでしょう。伸ばしっぱなしだったのよ。
それすらも眼鏡の男のヒントになってしまうのが皮肉です。
よく、ディベートもろくにできないお子様が「ろんぱ、ろんぱ」言いますけれど、論破というのは元来、相手を説得・納得させたうえでぐうの音も出ないぐらい言論でたたきのめすことを意味します。マウントです。
ただ、初対面の男はそういうタイプではなく、口で情報を整理していく性質があって、それが勘違いを招いたりする、そういう人物です。
……というか、少ない情報をかき集めて類推して全体像をつかもうとするのは、その行為自体が好奇心由来といいますか。つまり、知りたいと思っているから、質問させろと、そういうわけなんですね。ですが、人の心理や知識、生きてきた経験などは今現在のたたずまいからおおかた想像がつけられるものだったりします。それが妄想か、あるいは真実となるかは、話者として対話を試み、正解を引き出したものだけが知り得るのですが。

単純な知識欲と人物対応の点でいえば、彼は――エイノは一番私によく似ています。
一を見て十を知る、と家人には言われますが、それほどとはまいりません。
知らないこと、できないことのほうがが多すぎて嫌になります。
その反対、学習能力を育てきれなかった方と出会ったときの研究心のギャップにも驚かされます。芽生えた疑問を突き詰めずにいられないのです。疑問を解決しないままなあなあにしている方は、気持ち悪くないのかと心配になるほどです。
大学に入ってまずがっかりしたのは、こういう点です。
単位を取るだけで卒業が可能になるシステム上仕方がないことではありますが、本当にみんな、学習や研究に興味がない。資格を取るための手段として捉えている。目的があって、それを達成するための講義、それも一側面ではありますが、そんな態度の人間が学び舎で教鞭を取るに果たしてふさわしいでしょうか。次世代に学びを啓かせる立場の大人が、人生の先輩が「テストさえ点が取れたら良いよ」って、んな馬鹿なことがあってたまりますか。
でも、それが現実なのです。
啓蒙とは下へ向けた言葉であると、誰かが目くじらを立てることもあります。ですが、学び方を知らせれば、興味関心を芽生えさせる豊かな心という土壌をもつ子どもは、おのずと学びを深めてゆくはずなのです。深め方、その場での知識の掘り下げ方を知らないことは、罪ではありません。
「無知は責められぬ」
と、黒獅子物語で発言する男がいます。続く言葉は「ならば、知り給え」。
知ることが面白い、知識が自分の人生に波及していく、つながってゆく。
そういう実感さえ持てれば、いいのです。
教育指導要領なんて燃やしちゃえば良いのよ。

小説の執筆に、資料や辞書の必要ない方がいらっしゃることも、私にとっては驚きです。
幻想物語に五感へ訴えかけるほどのリアリティを持たせるために苦心していることもそうですが、嘘は読者に伝わるものです。無知も、もちろん。無知を振りかざしたところで何が生まれやしません。有識者、経験者であるべきだとも思いますが、人生は有限です。つまり、「ここではないどこかno where」を具現化したかのように「感じさせる」説得力とはまさに、自由闊達に取り出されちりばめられる「知」であると思います。
「知」の母体は好奇心です。それが純粋な知識欲――知識を蓄えることを心の富として幸せを感じるのか、虚栄心――誰よりも優れた人間でありたいからたゆまぬ努力を続けるのか、どちらでもかまいません。
いずれにせよ、「知」は「情」を扱うためのあらゆる物差しとして機能し、人間らしい理知的な、あるいはおもいやりに満ちた判断を下すよき材料となりえるでしょう。
「情」――快・不快だけで生きているのは、私に言わせてみれば、動物と同じです。
せっかく宇宙を理解できそうなほどの巨大な脳を持っているのです。もっと、先人の築いてきた文化を大切にして、心豊かに、文化的に生きてみたら良いと思うのですが。
であるからして、私にとっての王道、幻想文学とはすなわち、遙けき過去のアート、人間が古来から心を動かされてきたドラマを学び、踏襲し、それを現代にも等しく伝わる精神として伝えてゆく行為――温故知新でもあります。

さて話が過ぎました。
グレイはシールと偽名を名乗りました。これはあとから響くタイプの嘘だぞ、とミルちゃんが睨んできますが、あとあとで。
ま、そういうことでですね、エイノはグレイを最初、軽んじます。
もう少し口が達者だったらよかったのかしら、というわけでもなく、ここが、23才のエイノ自身の未熟な部分です。
ワニア民族にまつわるキーワード〈純血〉も出てきましたが、それもこれから。
さ、山登り、始めますよ!
荷物があると、ほんと、たいへんなのよ、これが!
1-3-2、おわり。

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