2019年6月30日日曜日

〈制作秘話第二十一回〉1-3-4

双子が飛び起きて、1-3-4。
ドーガスの教え子については自明なので特筆しません。
ピーリャとユッシの登場です。

トゥルクの宿の一人娘で、ちょっとフィンランド語を話せる私に喜んで、どんどこどんどこ、あのね、それがね、と話しかけてくれた小さなプリンセスから名前を拝借しました。でも一年そこらしか勉強してなくってさ、そんなに喋れなくてごめんよ。

ドーガス、ユッシにおっさんと言われてむっとしてるけど、どうどう。子供からしたら、30過ぎなんておじさんおばさんよ。よその子の親の年齢だもの。
学生時代、出産を見舞った幼馴染の長男が小学三年生になっていて震えますが、それはそれ。それはそれだよぉ……。

場面は転じて295p、薄着のミルちゃんが寒そうの巻。
さらっとマントをかけるのを、さらっと書きおく。
「別に」の応酬はこの二人ならではになりました。
実際問題、夏だなぁとTシャツジーンズで古城の地下とかに潜ってみると、嘘みたいに寒いんですよね。外は外で、突然通り雨があったりするしで、マントや厚手のショール、パーカーは重宝しました。でも現地の人を見ると、日に焼けた肌を露出したままで、平気そうなんです。なんだろう、おかしいな、と思った瞬間には理解しましたね。体形が違うって。人種が違うのもありますが、やっぱりアングロサクソン系って線が太いんですね。骨の太さから異なるのがわかります。私がアジア人の85%縮小なのを差し引いても。

図書館の地下には、疑似神殿がありました。
水を地から天へと流す――超自然的な現象が魔法そのものですよね。
ルヴァが14才らしく小生意気な「わかってる感」を出すのがなんとも言えねえ。察しがいいといえばそうですし、早合点といえばまさにそう。
「ハイハイわかったわかった!」って、子どもっぽさだと思うんですよね。大概において本人はそうじゃないんですけど。わかりたい子どもの向上心を殺さず、へそを曲げさせず、いかにして理解させていくか。情緒と一緒に知識を与えねばならないので、教師というのは大変な仕事です。

サナキルヤはsanakirjaと書き、sanaは言葉、kirjaは本を意味します。
それで、辞書。事典。フィンランド語です。
『純白の抒情詩(以下リューリカ)』のサナの名前は、じつはここから来ています。
最初に闇があったのが宇宙科学で、最初に光があったのが神話世界です。
最初に言葉があったのは、キリスト教世界。
『リューリカ』読了の方にはもうおわかりでしょう。
時という原初の存在を内包する娘サナの意味が。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
新約聖書『ヨハネによる福音書』より

ほかにいろいろ〈水の髪〉〈海の契約〉とか専門用語っぽいものが並べられますが、エイノがつらつら並べ立てる言葉をいちいち拾うと時間が幾らあっても足りないので。この場の主題ではないものは掘らない主義なのです。いずれわかることですから。
何者かがほどこしたらしい封印を解いて、取り出した書物はそもそも魔術道具で……。
グレイの長所が反対に働いた一瞬です。
これからどうなっちゃうの。
ココでしおりなんてはさめない!
さあ、1-3-5へ。

2019年6月27日木曜日

〈制作秘話第二十回〉1-3-3

ここからしばし、グレイと一緒に観光します。
言語の異なる異国情緒は国内旅行では感じられないものですね。
てかグレイ、まだ旅行気分なのね?
女主人ウルラの「ちび船長が独立の仲間を連れてきた」の台詞、今考えたらちょっとエモい。
大衆浴場の文化は、欧州にも古くからありました。
だから、古いホテルに行くと、シャワールームは後からつけているのがわかりますよ。
ウィーンに滞在したときは、少し割高ですが日本人の女性というウィークポイントから自分を守るためにそういう部屋をとりました。ご主人、英語で話しかけてくれて優しかった。一応ドイツ語は聞いてわかるくらいなので、たどたどしく話しかけたけれど、むりしないでいいよってね。
スパとしてそのまま生き延びてきた湯治の地も結構あります。
フィンランドはサウナですけども、いずれにせよ汗を清水で流します。
saunoaという「サウナに入る」という動詞は、もちろんフィンランド語です。
日本語で言うなら「風呂る」かな。
スパ文化が発展、継続している地域は古くから衛生観念が強いようにみうけられます。
ということで、混浴は、なし。
でもそれは大正解。
ミルちゃんがはっぱかけてきたシーンは「いるの?」と家人に問われた場面ですが、要るでしょうよ! やきもちだぞ!
女の子は勝手にやきもちやいて、勝手にぐるぐるしてしまうものなんですッ!

ハイ、翌日。
しんどい山登りです。
北欧では、日本の山とは違って、つづら折りの散歩ルートがある山が多いです。
そもそもの傾斜も緩やか。黒岳のつもりだったら拍子抜けするかも。
というか、日本の山並みが険しいんですよね、火山性のものがおおく、隆起した山々だから。
それでもずっと坂道を登り続けるのはしんどいものです。
涼しい顔のエイノから〈海の民〉と〈山の民〉とか知らない言葉が出てきますが、まあ、そのうちわかることなので。
彼とミルちゃんが遠慮なく言い合うのにただ挟まれるだけのグレイ、居心地の悪さよ。
二人とも、グレイが気になっているだけなんですけどね。

次は建物の観光。
ロフケシア王立図書館は、立地と外観はベルゲンなんですけど、中身は大英博物館の閲覧室をモデルにしています。ロゼッタストーンのレプリカが置いてあるところです。行きました。高熱出してたけど、行きました。
採光窓のすみっこでもいいからすみたい、大好きな場所です。
イギリスには数々のゴースト・スポッツがありますが、大英博物館もその一つ。
でも、わかるなあ。知と時代が淀んだ居心地の良い場所だもの。
そしてゆらりと姿を消そうとしたミルちゃんを追うと、〈三本の薔薇〉の話がはじまります。
ついでに王族の宝の話も。
エイノが助けて欲しい人が誰かは、ミルだけがわかったのです。
『煌めき屋』でも、彼はそれだけのためにリュスラーナを訪れたわけで。
知的で不器用な男、わたし、嫌いじゃないですよ。
1-3-3、おわり。

2019年6月25日火曜日

〈制作秘話第十九回〉1-3-2

双子のその後から、1-3-2、スタートです。
まだ船の上。
グレイがドーガスを説得するのを、ミルちゃんもしれっと助けてくれてるの、なんか良いよね。

やっときたよ、ロフケシアはヴィーサウデン!
また私の思い出話に付き合ってもらおうか。
ヴィーサウデンのイメージは、ノルウェー王国のベルゲンという街です。
ノルウェーに留学した私の大学同期娘と現地の学生の青年が恋に落ちて、私が院生やってるときに二人で日本に飛んできて、そいでまたノルウェーに移住したっていう二人組です。友達。
彼らが住んでいるので、留学を終えて夏のバックパッカーをやっているときに遊びに行きました。
ココ
https://www.tumlare.co.jp/guide/norway/bergen/
TOPの写真の景色を見るために、サマータイムのまっただ中、背中にでっかいバックパックを背負って、歩きましたとも、歩きましたとも。それがどれだけ楽しくて苦痛だったかは、グレイが代わりに教えてくれます。後で出てくるよ。
飛行機で行きましたが、本当はトロッコで山をつづら折りにこえたかったのね。海岸線も見えるし、とてつもない岩肌に敷かれた落っこちちゃいそうな線路の上をガタンゴトンするって聞いてたから。
でも、友達(彼氏のほう・現地民)が「なんもないよ、ほんと、景色しかないから、すぐ飽きるよ! 時間がかかるだけ」って言うからやめました。
あとあと、彼は色弱者で、緑が灰色に見えていると聞いて納得。そりゃ、景色あんま楽しくないよね。そのおかげで兵役を免れたんだけれども。出先の苦労はしておくべきだったかしら。てか、日本で先に教えといてよ。

と、いうことで、海から見たベルゲンはどんなかしら、と潮風を思い出しながら書いたのが251pからだったりします。
見上げたら視界の端から端まで青くって、まるで青いドーム、天蓋なのよ!
それからウミネコがうるさいったらないの。
物価がフィンランドよりも高くって、小銭もケチりながらだったわ。
……とか書いていると、ミルちゃんがグレイに旅の話をしてくれてるみたいになりますね。なりきりは恥ずかしいのでしないししたくないしだからTRPGにとてつもない食わず嫌いをしているのですが、なんだろう、心からすっと出てくる調子なら、別に平気です。

望遠鏡は一つしかないので、貸し借りしながら。なんかこれも甘酸っぱい。高校生が半分イヤホンしてるみたいな感じ。やったことあるよ。いらない情報だね。
上陸までのわくわく感って独特で、心がふわふわするんです。
ミルちゃんがロフケシアの話をしてくれるのはいいけれど、グレイの心に隙間風。だらりと右腕を落とした隙に望遠鏡があっさりと奪取されているぞ。
少しの間抜けも、なんだか愛おしい一瞬です。

さて、255pから、知らない男が突然出てきます。
記憶力が確かなあなたなら、スヴェリン金貨が一体何の意味をあらわすのか、明白だと思います。手紙の主も、コーヒーを頼んだ人物もね。

浜辺の風の中、ウミネコをおちょくるグレイに髭が生えてるなんて、みんな気づかなかったでしょう。伸ばしっぱなしだったのよ。
それすらも眼鏡の男のヒントになってしまうのが皮肉です。
よく、ディベートもろくにできないお子様が「ろんぱ、ろんぱ」言いますけれど、論破というのは元来、相手を説得・納得させたうえでぐうの音も出ないぐらい言論でたたきのめすことを意味します。マウントです。
ただ、初対面の男はそういうタイプではなく、口で情報を整理していく性質があって、それが勘違いを招いたりする、そういう人物です。
……というか、少ない情報をかき集めて類推して全体像をつかもうとするのは、その行為自体が好奇心由来といいますか。つまり、知りたいと思っているから、質問させろと、そういうわけなんですね。ですが、人の心理や知識、生きてきた経験などは今現在のたたずまいからおおかた想像がつけられるものだったりします。それが妄想か、あるいは真実となるかは、話者として対話を試み、正解を引き出したものだけが知り得るのですが。

単純な知識欲と人物対応の点でいえば、彼は――エイノは一番私によく似ています。
一を見て十を知る、と家人には言われますが、それほどとはまいりません。
知らないこと、できないことのほうがが多すぎて嫌になります。
その反対、学習能力を育てきれなかった方と出会ったときの研究心のギャップにも驚かされます。芽生えた疑問を突き詰めずにいられないのです。疑問を解決しないままなあなあにしている方は、気持ち悪くないのかと心配になるほどです。
大学に入ってまずがっかりしたのは、こういう点です。
単位を取るだけで卒業が可能になるシステム上仕方がないことではありますが、本当にみんな、学習や研究に興味がない。資格を取るための手段として捉えている。目的があって、それを達成するための講義、それも一側面ではありますが、そんな態度の人間が学び舎で教鞭を取るに果たしてふさわしいでしょうか。次世代に学びを啓かせる立場の大人が、人生の先輩が「テストさえ点が取れたら良いよ」って、んな馬鹿なことがあってたまりますか。
でも、それが現実なのです。
啓蒙とは下へ向けた言葉であると、誰かが目くじらを立てることもあります。ですが、学び方を知らせれば、興味関心を芽生えさせる豊かな心という土壌をもつ子どもは、おのずと学びを深めてゆくはずなのです。深め方、その場での知識の掘り下げ方を知らないことは、罪ではありません。
「無知は責められぬ」
と、黒獅子物語で発言する男がいます。続く言葉は「ならば、知り給え」。
知ることが面白い、知識が自分の人生に波及していく、つながってゆく。
そういう実感さえ持てれば、いいのです。
教育指導要領なんて燃やしちゃえば良いのよ。

小説の執筆に、資料や辞書の必要ない方がいらっしゃることも、私にとっては驚きです。
幻想物語に五感へ訴えかけるほどのリアリティを持たせるために苦心していることもそうですが、嘘は読者に伝わるものです。無知も、もちろん。無知を振りかざしたところで何が生まれやしません。有識者、経験者であるべきだとも思いますが、人生は有限です。つまり、「ここではないどこかno where」を具現化したかのように「感じさせる」説得力とはまさに、自由闊達に取り出されちりばめられる「知」であると思います。
「知」の母体は好奇心です。それが純粋な知識欲――知識を蓄えることを心の富として幸せを感じるのか、虚栄心――誰よりも優れた人間でありたいからたゆまぬ努力を続けるのか、どちらでもかまいません。
いずれにせよ、「知」は「情」を扱うためのあらゆる物差しとして機能し、人間らしい理知的な、あるいはおもいやりに満ちた判断を下すよき材料となりえるでしょう。
「情」――快・不快だけで生きているのは、私に言わせてみれば、動物と同じです。
せっかく宇宙を理解できそうなほどの巨大な脳を持っているのです。もっと、先人の築いてきた文化を大切にして、心豊かに、文化的に生きてみたら良いと思うのですが。
であるからして、私にとっての王道、幻想文学とはすなわち、遙けき過去のアート、人間が古来から心を動かされてきたドラマを学び、踏襲し、それを現代にも等しく伝わる精神として伝えてゆく行為――温故知新でもあります。

さて話が過ぎました。
グレイはシールと偽名を名乗りました。これはあとから響くタイプの嘘だぞ、とミルちゃんが睨んできますが、あとあとで。
ま、そういうことでですね、エイノはグレイを最初、軽んじます。
もう少し口が達者だったらよかったのかしら、というわけでもなく、ここが、23才のエイノ自身の未熟な部分です。
ワニア民族にまつわるキーワード〈純血〉も出てきましたが、それもこれから。
さ、山登り、始めますよ!
荷物があると、ほんと、たいへんなのよ、これが!
1-3-2、おわり。

2019年6月23日日曜日

〈制作秘話第十八回〉1-3-1

場面はかわり、王都ファロイスはケルツェル城に。
従者コンビが好きな人、お待たせしました。
シアと一緒に、ヴァニアスの情勢を学びましょう。
240p「私たちみんなのお母様みたいな方」は1-1の誰かさんの台詞と対応しています。
ラインが歯に衣着せぬ物言いをする、朴訥としていながら嘘は言わない、というのはここで決定づけています。

セルゲイが騎士団長らしく入城するのが、あんまりなれない感じです。
風格がある描写をしてあげられたらいいのですが、視点がグレイやミラーだったりするので、相手もくそぢぢいのまま接してきますから、あんまむり。かっこよくしてくれないんだもん。
242pで、ミラーが手紙をたたきつける下りはちょっと気の利いた感じがします。
ここから、前半に出てきた謎の答えがドコドコ出てきます。
そう、国の現状――魔物がいたり〈神隠し〉があったりが、グレイには知らされていなかったことも。
ラインがことごとく思ったことをそのまま言うのもリアルな感じです。
実際にやると本当に誰かに睨まれるやつです。
ざざーっと今後のルートが示されるのを、ミラーが赤いノートに速記します。

ツイッターにも投稿しましたが、『王国騎士のブックカバー(黒獅子物語第三巻特装版)』を本物のミラーのノートにするには、無印の文庫ノートが最適です。たったの140円。ミラーとおそろい、ふっふー。
セルゲイの言う「利発ないい娘」のくだりは、いわずもがな、ダブルミーニングです。
ドーガスという男の身元もなんとなく明かされたりして。
どうして上り詰めずに騎士をやめてしまったのかは、あとあとわかるかもしれません。
チェッカーボードケーキは作るのが大変なのですが、いつかちゃんと作りたいものです。
アルバトロス親子がとんとこ話を転がしてはミラーに修正されるのはおきまりで、可愛がられている証拠なんですけれども、女の子としてはイライラしちゃう可愛がられかただと思います。

〈駄作〉と〈三本の薔薇〉ががっちりかみ合うものの、〈薔薇研究〉や〈薔薇の騎士〉についてはあんまりわからない感じ。
だってこの1-3-1が一巻前半のフィナーレで後半へのアウフタクトなんですもの。
そして、セルゲイは部下を引き連れてグラスリンデンに発つのでした。
1-3-1、おわり。

2019年6月22日土曜日

〈制作秘話第十七回〉1-2-7後半

219pから、事態が急転。こんな夜になんじゃらほい。
いきり立つグレイにでこぴんしちゃうミルちゃんかわいいな。
シグの皮肉で商人の見た目がなんとなく察せるのはグッドです。
ここらへんでグレイがちょっと血の気が多いのは、多分正義の心が燃えているからです。タコを捌いたり、双子の件もあったしで、気が立ってるのよね。
で、マントだけじゃ引き留めておけないから、腕をぎゅっとね。
ミルちゃんに腕を抱きしめられたら、そりゃあ、当たっちゃうわよ。
グレイも黙るしかたまるわ。ははは。

二人してバラバラに問い詰めたり、シグが説明してくれる調子が、なんというか音声的にもリアルで気に入ってます。こういうところはいつもこだわりポイント。でも222pで助詞間違ってるので減点。
ドーガスが武器を持ってきてくれたので、武器の紹介だぜ、ベイベー。
時代考証上、拳銃も存在する世界です。でもまだフリントロック式なのは、魔法・魔術の発達による科学技術研究の遅れを考慮・シミュレートしているからです。
この世界から魔法が消えるとき、科学は著しく発達していくことでしょう。

ドーガスが単身、危険を排除しようとするのは、至極全うであるとの判断でゴーしました。ゴー。用心棒ですからね。しかも彼はグレイのことを……。巻末まで読んだ方ならごぞんじですね。
そんなこんなで黒髪の男二人が魔獣対策に行っちまうのですが……。

ところで、今ミルとシグがいる場所がどこだか、みなさんちゃんと想像できましたか?
船尾楼の真上に操舵輪があって、船尾楼の中にルヴァがいて。
第一デッキにある扉から船尾楼の中へは入れないので、窓から入るしかないんです、っていう。ちゃんと絵で見えていてくれていたらいいんですけど、祈るほかありません。

ロープの結び方なんですけど、舞台人なら絶対に手早くがっちり結ぶ方法を知っていて、船乗りならもっともっと知っている、と歌の先生に教わったのです。どうやってもほどけないのに、たったワンテイクでぱらりとほどける。そういうものです。山登りの手ほどきとかにも書いてあるはず。ダンゴの結び目じゃないってことをお伝えしたかった、それだけです。調べると幸せに……なれるかしら……。

ミルちゃんが、夜の海を下にして船体をくだっていくのは、とっても勇気があります。
船って結構高いし、波にさらわれたら最後、夜ですから見つけてもらえないんですよ。
書いた私が緊張しました。
運良く窓が開いていて、そこから入れてほっと一息。ルヴァも無事みたい。
薬で眠たいのって、本当にあらがえないのでつらいもんです。

チャフで目を焼かれるとしばらく使えないのは知っていますが、相手は錯乱しているのでご愛敬……でもいいですかね。
それにしても、火力のないあっけない幕切れ。船上は火気厳禁よ。料理以外はね。

〈三本の薔薇〉の話がここで飛び出します。〈駄作〉もね。
まだここでは、きな臭いね~、で大丈夫です。
エフゲニーってどんな人間か、まだわからないものね。
「お前の命は幾らだ? 自分の命を買い戻せ」
は、旧版から引き継いだ数少ない台詞です。
ここで、グレイの鋭さを描きたいがために、ミルちゃんの視点を採用したといえます。
すんげえ怒ってるんですけど、その本人目線で書いたところで、どうも恐ろしくはないんです。かっこよくもないし。彼が傍目には、しかも意識しちゃう少女の目にはどう映っているのか、1-2-7では浮き彫りにできたんじゃないでしょうか。
「あんた以外と独裁の才能――」
のあとの、人差し指むゅ、萌えポイントです。偶発的な接触に二人とも真っ赤です。声も裏返ります。試験に出ます。
しかもなんやかんや言ってる時間、触れ続けてたんだよね?
グレイがセルゲイ並みにすけべだったら部屋戻ってゆびペロペロ案件ですよ。
そんなことをする男じゃないですけど、でも、ずっとずっと人差し指だけ特別扱いしそう。あったかかったな、って。
ミルもハンモックの上で反芻しては、「あ、あんなぼんぼんなんて……!」って悔しいけど気になるを繰り返すんでしょうね。

っはぁーん! なんだよ!
いちゃついてんじゃねーよ!
1-2-7,おわり!

〈制作秘話第十六回〉1-2-7前半

「ここよかったなー」っていうシーン、いろんな作品にありますよね。
でも独立したケレンミっていうのは実は存在していなくて、ストーリーがあってこその納得=結論としてのそのシーンだと思うんです。
そうでなかったら、物語は存在せず、破綻してしまいます。

1-2-7は207pから、ミルちゃんの視点で語られます。
しょっぱなからヴァニアスの歴史に触れるのは、彼女の職業柄というところ。
旧なろう版(完全消去しました)ではのっけから語られていた獅子王エドゥアルガスと神子姫、現在の〈ヴァニアスの神子〉伝説が、ここでぎゅっと要約されています。
ぼうっとしてたら、ドーガスに茶々入れられて、ミルちゃんきっと赤くなってますよ。
ミルちゃん視点だから、書かれていないだけでね。

私事ですが、LGBTが話題になりつつある現代よりもずうっと前、学生時代から、私はそういうお友達が多くいました。
バイの男女、心が女の子の男の子、少年装がしっくりくる女の子、ゲイの男の子、ビアンの女の子、ノンケだけどめちゃくちゃ乙女ハートな男の子……いろいろです。
なぜかみんな、打ち明けてくれましたので、私も「そうなんだ」のひとことで受け止めました。ちょっとびっくりはしたけど、そうなんだもの、そうなのよね。やっと、時代が私に追いついてきたかな。なんて。
ドーガスのジョシな部分を陳腐化されたオカマ(オネエキャラ)として表現しなかったのは、これが理由だと思います。
どんな人間がいたって、別に変じゃないですよ。それを指さして面白おかしく嗤うのは、自分が普遍的だと思って、他人の個性を認められないってことのあらわれではないでしょうか。
「そうなんだ」ってことで、いいじゃないですか。
他人の権利を侵さない範囲で、好きに生きるので、いいじゃないですか。
ただ、私にはその趣味がないから、お友達以上を求められたら、ごめんだけどお断りするよってだけです。

旧なろう版では、双子の覚醒シーンがかなり細かく書かれていました。
ちょっと居眠りしているグレイを、双子がじーっとのぞき込んでいて、わちゃもちゃする場面です。アニメや漫画なら入れるシーンだと思いますが、私はスパっと潔くカット。
というのも、グレイの視点に置き換える手間があったからです。ミルちゃん視点でずいずい進めます。

グレイの説教の場面では、動物を調教するテクニックが使われていたりします。
生まれたときから猫と生きていたその長年の勘みたいなものなんですが、言語を理解しない相手には語気でこちらの感情を伝えるのがベストなのです。
耳も尻尾もないのでどんなに怒っているかを伝えられないので、相手の体を拘束し力の差を感じさせて、大きな音(声)で威嚇します。このとき、決して名前を呼んではいけません。名前の音を不快なものとして覚えてしまうからです。子猫相手なら首根っこをかんでそのままうなったりすると、かなり反省してくれます。
目もそらしてはいけません。屹然と、俺が強いんだと、ヒエラルキを感じさせるのが大事なのです。
動物の話ね。
このとき、双子はまだ動物でした。

シロとクロが〈黒龍丸〉に受け入れられてからのダイジェストは、我ながらぎゅっとまとまったなと思います。今後もいい感じにぎゅっとしていきます。
伊丹万作の言葉を借りるならば
『「省略」とは、余分なものを省いたおかげで話がよく分かるようになることです。省略したせいで話が分からなくなるのは、省略では』ない。
塩田明彦は
『物語の中で省略された物事は、消えたわけでも存在しなかったわけでもなくて、ただ伏せられただけなのです。物事は伏せられることでかえって存在感を増したり、不在の影になって人物や物語世界に強い影響を与えたりすることがあります。』とも書きました。

夜の廊下で、ミルちゃんが見上げたグレイの顔の描写も、ドキッとする一瞬です。
別になくてもいいんでしょうけど、意識していると書きたくて。

甲板の風ってとっても強いんですよね。
陸上にいるといろんな地形や自然物で緩和されているのがよくわかります。
台風で地上から浮いて飛ばされた経験がある私です。
強風に面で押されると本当に負けちゃうんですよ。
よろめいたミルちゃんを、グレイは押し返すだけにとどめて、ジェントルマンなのです。

空を見上げるグレイの描写は、とっても力を入れました。
男になろうとしているたくましさ、その実、こどもっぽい純粋さもある。
そんなにない、ミルちゃんから見たグレイを知ることができたんじゃないでしょうか。
そこからの「で、話って何よ?」です。
ミルの言うことには、いつでもとげがあります。薔薇のようですね。
217pで顔を隠すくだりは、「同じことを思っててくれたんだ」っていう気持ちがにじんだはずなんですけど……なんだここ読みにくいな。
さらっとラインの境遇にも触れられます。
『テュミルにとって、グレイは世間知らずの王子のままだった。』のくだりは、もうしわけない、詳細は『銀色乙女のタランテラ』で読んでもらえます。
81pでのミルの吐露が、言葉足らずだったんだなあ、反省。
219pで、「侮らないでよね!」と口癖を引っ張ってきて茶化そうとするのがいじらしいです。

でもせっかくのいい空気が、怒号で台無し。もー。
後半へ続く。

2019年6月19日水曜日

ファンタジーに寄せて

三月に聴講した『ヨーロッパの医療と口承文学』という公開講義で、
手を上げていた方が、オカルトとして内包できる魔法・魔術・魔女の観点からのみ(・・)もの申していたのが的外れで、少し心に引っかかっていた。
講義はオカルティックな現象としての医療や魔術の施しについて語っていたわけではないからだ。

ベッテルハイムの『昔話の魔力』から言葉を借りれば「民話や昔話が語ってくれるのは、世界普遍の人間問題について」で「昔話は、人生の問題を正しく解くにはどんな道があるかを暗示する」ものである。つまり、口承文学に現れるヘンテコ医療は「直面した困難を乗り越える」手段でしかないのである。

元来、民話や昔話は想像しやすいようにストーリー仕立てにされた教訓集であり、困難を乗り越えるための想像力を育むためのものだ。テーマは口承文学。だから、あの場において魔女裁判だの、魔女と猫だの、そういうのはお門違いだったといえる。

子どもはタロットの愚者(0)となぞらえられるほど、ものを知らず、だからこそみずみずしい未来がある若者である。世界を測る物差しが短いがために、想像で補う。仮想メモリだ。未熟な子どもにとって、現実世界はそれこそ魔法と同じぐらいフシギでいっぱいなのだ。だから想像力が必要になる。

物語を書く人間として、私はいつも「想像がきく」ように心がけている。少女の明るい声、不機嫌な顔、潮風が運んでくるバターと小麦粉の焦げた匂い、甘酸っぱいベリーソース、段差のある場所を楽々飛び越える少年。知ってることならありありと、知らないことなら想像で補ってもらえるように。

これは誰かにとっては余計なことかもしれない。しかし物語の世界を文章という断片でしか提示できない私は、読者の想像力に頼らなければいけない。あなたの心で音が聞こえ、色が弾け、風が肌をなでた拍子に香りが思い出されたとき、ときめきに喉が渇き胸が高鳴るとき、物語の世界が現実に現れる。

物語の世界をありありと想像できたそのとき、それはたった一人が作り上げた空想ではなく、たった一人の、たった一度の経験になる。それこそが豊かな読書経験だと、私は思う。まるで異国を旅したような充実感でいっぱい、そして心地よい疲労と憧れに体を放り投げ出したくなる。私はそんな物語を書く。

つまり「行きて帰りし物語」というわけだ。そして、あなたがその心で旅した冒険の物語は心の中で永遠性(Never ending)を持つ。そして登場人物はいつでもそばにいて、あなたをよきともとしていつでも呼んで(Calling)くれるだろう。あのやさしくなつかしい、かぎりなく自由な、ファンタジィの世界へ。

2019年6月13日木曜日

よみかきについてかんがえてみた。

不慮の事故や人権問題など、世界は目まぐるしく動いています。
それらに心を痛めつつも他人事としてさておき、静かに本を読み思考実験をできる時間を持っている私も、世界の構成員であります。
知りつつも同一視しない、というのは確立された自己の証明なのかもしれません。

さて今日は「読む」「書く」という行為について考えていました。

「我が国の教育で識字率が~~」とか「日本語の読めない人が増えている」とかそういうのをはじめると、まず私は教育指導要領がそもそもの害悪であるという話をしたくなります。遺伝子が違う、それぞれ個性的な脳を持つ人間をハコにつめて画一的な教育を施したところで、全員が同じ目標(九九の九の段を2日で暗唱できるようにする、とか)を達成できるはずがないのです。馬鹿げています。それで個性の尊重などと、どの口が言いましょうか。

先行研究もしていない独断と偏見でできた論文風味の読み物として、全3回程度、つらつらと思考実験を書き連ねてみたいと思います。

『「読み書きができる」ということ』

もくじ

  • 1.「読む」とは肯定的な行為である

1-1 読書は「全肯定」前提
1-2 「迎える」ということ
1-3 「全否定」前提の読書
1-4 選択の自由とアレルギー

  • 2.身体化した言葉を「書く」

2-1 「〇〇み」を出したがる風潮
2-2 誇大も矮小も等しく虚構
2-3 心への直接的プレゼンテーション
2-4 伝えたいことは「何」であるか

  • 3.自己と言論

3-1 文章を通じた生身の交流
3-2 言論のありか
3-3 感動と客観視
3-4 「参考にする」

  • 4.「読み書きができる」ということ
目次だけ書いたよ。
中身はおいおい、増やします。
先行研究も、ちょっとやってみます。

2019年6月12日水曜日

イラストご依頼窓口、開設しました。

そろそろやってもいいのかなーって思えたので、一足遅れてSKIMAとSkebに登録しました。

インターネット老人会出身者として一番おののいているのは、絵のうまいやつがゴロゴロ転がっているという現実を突きつけられるということです。
あんまり楽しくない独学を経て、ようやくこれくらいは一人で描けるようになったのですが、それでも足りないんだっていうレベルの高さをいつもいつも見せつけられるんです。せっかく上手くかけたと思った瞬間に転んじゃう。しょんぼりです。
これくらい。
線画に時間泥棒される。線画が作業時間の8割。
塗りは髪と目と肌でだいたい飽きる。
自分でゴーゴー歩いてはどんどこ蹴躓くわたしですが、この絵を好いてくださる方もいらっしゃると、イベントに行くたびいつも慰められる思いがしています。
うち――『ちょこれいつ』は本屋さんなんですけど、遠巻きに、あるいは近づいて吸い寄せられるようにして絵を見て行ってもらえることが増えました。
本の厚みで、うちが何屋さんかみんな察してくれるので、ネットで聞くような「なんだ小説か」みたいな辛い言葉は吐かれたことはありません。
遠くからずうっと様子をうかがわれて、ササッと立ち寄られた二人連れのご婦人の、「ああっ! やっぱり小説だった! ちっちゃい! 文字が読めない!」という悲しい叫びなら聞いたことがあります。読めねえんならしかたねえ。
あと、マンガだったら読みたかったのね。サンキュー。ペーパーだけ渡しました。

最近は「なんでマンガを描かないの?」と聞かれることも多いです。
マンガは好きです。中学生の時は、テストの前日もマンガを描いていたぐらい。満点取ったから別にいいしょや。
自分や家族のためにぺなぺなした脱力マンガを描くのも、たまにならやります。わたしのマンガ力というのはこれくらいで、きっと好かれることもあるだろうけれど、でもそのくらいなんです。

私のマンガ力では、表現したい物語世界は正確に現われてこないんですね。
この場合の正確とは、私のイメージ世界のことを指します。
どこにいても異邦人の自分が見聞きしてきたこと、あるいはこれまで物語世界から得てきたこと、そういうことは言葉でないと正確に表現ができなかったわけです。
それに、私は言葉が好きなんです。
小説をただのシナリオとして読ませるつもりは毛頭ありません。
五感を刺激して、実在しないものを体感してもらいたい。
私は、音を聞いて色を見たり、香りから音楽がうまれるような体質です。
妖精がワクワクの気持ちで羽根を得るように、他人から見たら空想のようなリアル、魔法めいた肌感覚で生きているのかもしれません。
まあ、そういうことで、小説を書いています。幻想文学を。

んで、大事に組み上げた私の世界をね、何とかして他人の手のひらに押し付けるために、絵を描いているんです。目的と用途があるから、ここまでこられました。
描く喜びに筆が走ることがあれば、本当に幸せなんでしょうが、私には難しいみたいです。
有償ボランティアをする中で、クライアントと私の気持ちが潤うなら、それこそ幸せかも。

好きだと、さらには欲しいと言ってくださる方のための、イラストご依頼窓口です。
自分の執筆時間を鑑みて、アイコンのみの受付とさせていただいてます。


依頼人とのやりとりがほとんどないのが特徴です。
「おこづかいあげるから新規アイコン描いて」っていう感じで使ってください。


こちらは、依頼人とやりとりをするビジネスなアカウントです。版権も可能。
キャラデザ・修正回数追加など、私の技術と時間をお金で買ってもらいます。

いずれも納期が21日で商用不可、がっちり紐をしめていますが、変な人フィルターになればいいなと思って記載していますので、日ごろなんとなくやりとりのある方はいろいろご相談ください。
納期は万が一のための保険です。きっとすぐやるしすぐ納品します。
ここあアイコンが欲しい方、この機会にぜひご検討下さい。

2019年6月11日火曜日

〈制作秘話第十五回〉1-2-6

結局、巨大なタコさんはお陀仏で、ドーガスの餌食になってしまった。
そんなところから一歩退いた、1-2-6です。
放浪の医者ジャスミンが自室のように使っている医務室に双子を運ぶところからスタートです。
ルヴァがマナを集めるのにつかう言語は、アレです。私がつくったやつ。
リシュナが祈りで魔法を扱うことに初めて言及してもいます。
つまり念ずることですけれど、これって実は大変不確かです。
体調の波があるように心にも波があるはずですから。コンディションがいつも一定ではないことを踏まえると、〈マナの歌〉や言語による命令は望んだ効果を取り出しやすいと言えます。大事なファクターなので、あんまり言わないでおこう。内緒。

ジャスミンは理系なので、状況判断が上手です。ドライともいえます。
逆にグレイは情に厚いので、理詰めでサクサク畳みかけられると感情が追い付かないときがあります。しかし、教育も施され慧眼もありますから、相手の主張を理解することもできています。
情動と理性は同時に存在しえます。せめぎあい、バランスの上でどちらかが勝ったときに優位性を持つだけだと、私は考えています。ほんのひとつまみの思いやりや想像力があれば、理性は突発的な感情を求肥のように包んだままでいられるはずだとも。

ハッカ油を一滴水にたらすと、それだけでさわやかな香りが部屋中に満ちます。
双子の奴隷にまつわるちょっとした謎解きがひょんなことから始まったりも。
ゲームだったら聞き取りとかするんでしょうけど、小説なのでサクサクぶっとばします。

二人っきりで気まずいのを打破したのは、やっぱりミルちゃんです。
こういう、会話のときのふとした仕草とかを書くのは得意です。
真実を語っているのに、逆撫でしあう調子を崩さないのはこの二人ならではかも。
うん、いろいろ重要な話がサラサラ流れていきますね。
魔法とか魔術とか、ここはちゃんと読み込んでおかないといけない部分です。
私が何か言う必要は、ありません。
1-2-6、おわり。

2019年6月6日木曜日

〈制作秘話第十四回〉1-2-5

ドーガスの乙女っぷりが垣間見られる冒頭から、グレイはグロッキー。
ミルちゃんは暗いのとおばけが怖いみたいです。
「隙間水、早く捨てる!」
はクスリフレーズなんじゃないかな、と思います。

やっと仮眠をとろうとしたグレイ、そこに聞こえてくるおぼろげな女の声。
あまりにするする、スムーズに事態が運ぶので会話も自然に発生します。上手に書けている気がする。
どきどきの一瞬は、たった一瞬で済ませるのがおしゃれなのです、ふんす。

タコね、タコ。
悪魔の魚と言われ忌み嫌われるゆえんは、ユダヤ教の戒律(旧約聖書の記述)にあります。
旧約聖書では、魚類はヒレとウロコを持つものだけしか食べてはならないとされており、タコ、イカ、カニ、エビ、ウナギ、エイ、貝類、イルカや鯨などは食べません。
これって某動物愛護団体の主張ともろかぶりですよね。
我々が愛玩している犬・猫を中国あたりでは食するのをみて「野蛮!ひどい!」と言っているのと同等です。私は、家畜として育てられたかわいそうな運命の動物ならば、おいしくいただいて供養する派です。家族として受け入れた動物は、いかに畜生といえどよしよし、めんこめんこします。環境が悪かったんや……。

さて、旧約聖書(『レビ記』第11章)からの引用です。

第11章9節
水の中にいるすべてのもののうちで、次のものをあなたがたは食べてもよい。すなわち、海でも川でも、水の中にいるもので、ヒレとウロコを持つものはすべて、食べてもよい。

第11章10節
しかし、海でも川でも、すべて水に群生するもの、またすべて水の中にいる生き物のうち、ヒレやウロコのないものはすべて、あなたがたには忌むべきものである。

第11章11節
これらは、さらにあなたがたには忌むべきものとなるから、それらの肉を少しでも食べてはならない。またそれらの死体を忌むべきものとしなければならない。

第11章12節
水の中にいるもので、ヒレやウロコのないものはすべて、あなたがたには忌むべきものである。

ヒトデもナマコも、ウニもアウト!
でも、ユダヤ教を始祖にするキリスト教、そのキリスト教徒の多い北欧あたりでは、普通に魚介類は貴重な食資源なのでタコの刺身とか食べますよ。プロテスタントだからというのもあるのかも。じゃ、クリスチャンだったスウェーデンのクリスティーナ女王はタコを食べなかったのかしらね。

いや、そういう経緯があってタコが巨大化してヴィランとして現れたわけじゃないんですけど、こういうのはふまえておくべきです。タコってやべーやつですよ。わりと雑食だし。
でも、この場で一番のやべーやつは、ドーガスだったようです。
銛を手にニコニコ「釣りが失敗して大きいの釣れちゃった(はあと」みたいな余裕もさることながら、包丁を研ぐところからスタート。必殺料理人です。

この、緊迫しているんだか、そうでないんだかというバトルは「(黒井ここあ)らしい」と言われたことがあります。肩透かしってことかしら。まだ「自分らしさ」がわかっていないので、とりあえず読んでみてください。おっけーい。

ところでみなさんは、生きているタコを捌いたことはありますか。
あれな、切れねんだ! 包丁がなまくらだと!
筋繊維が、ぎゅってひきしまるのもありますけれど。
って解説してるところで、ミルちゃんがウミネコよろしく冷やかしに行ってしまいました。
タコって好奇心が旺盛で、だからこそ壺に入り込みやすいわけなんですけど、ちっちゃな生き物がいたら「なんぞ、なんぞ」となるのはあたりまえですわな。

どさくさに紛れて、「祈りの像」の箱がはかいされてしまうと、なんと中からはヒョウが二頭飛び出すわけです。三つ巴の緊張感を楽しんでもらえたら嬉しいです。
というところで、タコバトルが落ち着いたのに、新しい謎がまた浮上しました。
1-2-5、おわり。

〈制作秘話第十三回〉1-2-4

大事なことはすべて小説の中に入れ込んであるので、解説することもあんまりなくなってきました。
スキュラ、というか、人が賑やかにしている街の曲のつもりで書きました。
1-2-3あたりで、小高い丘に立ったぐらいから流れるんじゃないでしょうか。
ピッツィカートでうきうき弾み、ヴァイオリンが自由闊達にしている次に、オーボエで愛のテーマが流れる、という感じです。今ならもうちょっと洗練させられるような気がしますが……まあ、一日クオリティですよね、そこはね。

1-2-4です。
筋肉痛の下りを端的に省略することに成功しています。
あやしい商人がぽつりと零した独り言が追い風の仕業で耳に届く、という表現は、ちょっとおしゃれですね。いえい。

〈黒龍丸〉についてはいろいろ研究と考察を重ねた部分だったと、思い出します。
当初はティークリッパーぐらいかなと思っていたのですが、三本マストのシップ――しかもフルリグド・シップでいいんじゃないかと思いました。大砲を持つ武装商船でもあります。
結局、インディアマンGotheborgをモデルにしました。
https://www.gotheborg.com/
全編英語ですが、センテンスが短いやさしい文章ばかりなので、読みやすいですよ。高校一年生レベルじゃないでしょうか。写真も豊富で、大砲の上に板をおいてテーブルにする様などは多いに参考にさせていただきました。もちろん、就業形態もね。知ってる食べ物が出てきて驚くかもしれませんよ。
〈黒龍丸〉の乗組員のシフトも作りました。
クルーは朝・昼・夜で順番に寝たり起きたりを繰り返し、船長・副船長はつねに現場監督として責任を負うため、クルーとはずれた一日を送ります。それもあって、シグルドは出航早々に寝るんですよ。

さて、みなさんは船に乗ったことはおありですか?
私はとっても快適なバルト海クルーズしかしたことがありません。
そんな客船だとしても、揺れるし、甲板に出ればめっちゃうるさいのです。
外海だったら、この比ではないでしょうね。

グレイの船旅が始まりました。
やっぱり隣にいるミルちゃんのことが気になって仕方がない様子。
「いちいち色気づくことないでしょ!」と目くじらを立てる女性がいたら、苦言をひとつ。
突然自分のパートナーを名乗り上げてくれて、協力してくれる。いちいち癇に障ることを言うくせに、からかうときの笑顔が輝いている。何もかも抑圧し、されてきた自分とは正反対、自由にのびのびと感情表現をする。透明な珍しい色彩に加え、黙っていれば作り物のように整っている。
そんな見目麗しい異性がいつも近くにいたら、意識しちゃうのも無理はないでしょう。そもそも、18歳の男子ですよ。女の子に興味はあります。あるんだってば。

ウミネコからかいは、浜辺の人ならだれでもやったことがあるはずです。
わたしはリスや小鳥に餌があるふりをしてがっかりさせてやってけたけた笑っていましたけれど。とってもかわいいんですよ。でも、日本でやってはいけません。

それたそれた。
この辺りは、なんだかちょいちょい〈黒龍丸〉や船旅のティップスがわかります。
船のってゴー、では済まない時代です。普通に転覆――死が隣り合わせなのが航海ですから、乗組員も客も、何が何だかわかっていないと話にならないのです。
グレイが無知(未経験)なこともあり、物知りのみんなが口々に教えてくれるのがとても親切です。ただ、ミルちゃんだけは皮肉たっぷりですが。それが会話のきっかけや推進力になっているのにグレイが気付くのは、もうちょっと先みたいです。

一方ルヴァですが、どうやら「ちび船長」のあだ名で乗組員から親しまれ、頼られているようです。あやしい荷物はそのまま。パレット組めないとずれやすくなるからホントやめてほしいよね。ルヴァの説明がおもいっきり口語で、しかも意味がとりやすいのは気に入っています。

私の小説にはお食事のシーンが幾度となく登場しますが、匂いや触感、舌触りなどを克明に描写しているためか、読んでいるとお腹がすくという評判があります。作れるものもあるので、たまに家で自作することもあります。食事は、人間や生き物が生きる上に欠かせないものであり、喜びです。食べる幸せを「口福」と書く人もいるぐらい。物語を生きるグレイたちも人間です。だからきっと、同じ幸せと同じ不幸を感じているはずです。
そのために、三大欲求についてはとことん、突き詰めて見つめています。
ひもじさに頭と腹を痛め、体の芯で燻る欲求を押さえ――若さゆえに性欲と判別できないことも含めて――、眠たさと危険の合間でうとうと舟をこぐ。安全な家を持たぬ旅だからこそ、生命維持のために三大欲求は否が応でも表面化してくるはずです。文化的な生活、思考というのは、そうした三大欲求を満たした上でようやく成立してくるものでもあります。これこそが「学びを深める環境」そのものでしょう。

ロップのテーマ「三角帽子のコロポルカ」は作曲しはじめて三つ目とかそれくらいだったと思います。
絵は元相方のものですので、投稿しなおすべきだなと思っています。

ところで1-2-4、めっちゃ説明すること多いぞ。

ロップの登場で、通貨システムについて言及されています。
1クローネ銀貨10円ぐらいで考えてください。
1エーレ銅貨で10銭。
ヴァニアスのダブル・ローズ金貨は別名スヴェリン金貨ともいわれ、一枚で5クローネの価値が保証されています。
スヴェリン金貨は現国王グラジルアスの横顔レリーフになっています。

乗組員たちのヤンキー具合ですが、肌感覚のリアルさで書いています。読んだ感じ、嘘っぽくないはずです。
下卑たことを言うおいたんというのはどこにでもいて、面白半分のからかいで幼いプリンセスの乙女心を踏みにじったりするのです。腹が立つほど、その場限りの気分屋発言。田舎出身なのがもろばれですが、人生、何が役に立つかわからんのです。
豆知識ですが、そういうデリカシーのない人間(男女関係なかったりします!)には、素直に「ひどい!」「傷ついた!」と直接言ったほうがいいです。「どうしてそんなこというの!」と反語表現では追及できないのです。なぜなら、彼らには相手がどう思うかなんて言う想像力が欠如しているのですから。

そうこうしているうちに、グレイの三半規管が壊れました。
こういうとき、いっそ吐けたら楽なんですよねー。
でもなかなか出てこなくて、内臓が張り詰めているままなのがとってもつらい。
嘔吐恐怖症がある方には地獄のような2ページだったかと思います、ごめんなさい。
でも、木造船でグロッキーにならないほうが、不自然でしょう。だから。

創作の中で、自然・不自然、いろいろあると思うのですが、私の中では「一言で片がつく」かつ「納得がいく」ものを自然、と表現しています。
「納得できないこと」を不自然に感じるのです。
だから、不可思議をいろいろと理由をつけて納得させようとするのではなく、不可思議であろうと一言で「そうなんだ」を導けるようなバランスをとっています。
これって実は単純で、「わからない」ことを「わからない」と言うのと同じなんです。
「わからない」ものを「わかったふう」にしていることこそ、滑稽なものはないでしょう。恥の上塗りというのもありますが、知ったかぶりをしたところでそれは栄誉にも勲章にもならず、ただ無知をさらすだけで、せっかくの学びの機会を損じることになるだけなのです。
知るは一時の恥、知らぬは一生の恥。
たとえ間違ったり、誤った知識を信じ込んでいたとしても、その場で訂正していける人間になりたいですね。
もちろん、常に学びのアンテナは立てながら。

あ。幽霊? 子どもの声?
そう思ってベランダに出たら、すぐそばで猫がけん制しあってました。
そんなこともあります。そんなことも。

1-2-4、おわり。

2019年6月5日水曜日

〈製作秘話第十二回〉1-2-3

みなさんは、行軍とかしたことありますか?
私は荷物なしで20kmを休みなく歩き続ける行事に三年間強制参加させられた経験があります。マラソン大会ではありませんけれども。
一年目は走ってみたり、歩いてみたり。けれども走った後の消耗がひどくて、結局徒歩でとぼとぼ、ゴールしました。
二年目は極力走ってみようと思いましたが前年と変わらず。
三年目は、身長と歩幅が近しい友人と結託して、常に一定の早さをキープしながら攻略しました。早歩きし続けるだけでも、脚は棒きれみたく痛くなります。運動部の子たちは部活のメンバーと競い合うようにして軽やかに走り去っていきました。

初めて自分の脚で旅をすることになったグレイも、例に漏れず歩くテンポをまったく管理できなかったようです。
石畳の街道は凹凸に富んでいて、山道や獣道のように、ふわりとかかとを受け止めてくれはしません。新しいブーツのかかとも重たくて、関節にまで衝撃が響いてくるはずです。
一方で旅慣れたミルちゃんはローコストを心がけている様子。
スキュラに着いた二人を乱暴に撫でていく潮風の薫風に、白銀の髪がたなびき、横顔が青空にくっきりと浮かび上がって。
ダブルで絶景です。うらやましいぞ、グレイ。

端から見ればいちゃつく二人を見つけた少年が、驚きに声を上げます。
ルヴァの登場です。
ちょっと食えない少年は、初対面のグレイに結構馴れ馴れしく話しかけたり、問いかけたりしています。グレイの正体には気づかないまでも、彼のカリスマ性をいち早く嗅ぎつけちゃったりして。
出会ったときから弟分精神でいっぱいです。本当にそれで大丈夫かね、と不安になる人も少なくなさそう。14歳、このころはやっと自分が男になるんだと気づき始めるかどうかですから。自分自身に無自覚でもあり、とても危なっかしいと思いながら見つめています。

私はそれなりに旅をしてきた方だと思います。
はじめての街並みでは、五感が研ぎ澄まされます。
わくわくする気持ちに視界が彩りに満ちて、耳はすべての言葉を拾い、あらゆる匂いが映像に刻み込まれて、靴越しに大地をつかむ指が段差に戸惑ったりします。
約束のカフェではミルと再会し、ドーガスと出会います。
不思議な包容力に満ちた男はどうやらミルちゃんの何か、みたいです。

そして、ルヴァの口からヴァニアス王国の神秘の象徴であるワニア民族の話が出てきます。それにまつわる不審な話も、ちらほら。どうやらグレイが知っている以上に物騒な世の中になっているみたいです。
「全部あいつが悪いのよ」
を曲解するルヴァの言動が、国民を代表する王室への不信感そのものになっています。

ドーガスがちょいちょい茶々を入れたり、二人を和ませようとしてくれているのは大人の余裕でしょうね。それか、かわいいミルちゃんが意識しているさまを観てにやにやしているというか。
体術の得意なグレイですが、ドーガスはそれをあっさりと上回ってしまった様子。
底知れぬ男です。「味方でよかった」タイプの人間をことごとく仲間にしているグレイは、恵まれた人間ーー持てる者なのでしょう。
それは持たざる者からどう見えているのか、彼はまだ知らないのです。

〈制作秘話第十一回〉1-2-2

リシュナの祈り。
スィエル教関連で流れそうです。
この曲は三拍子。三拍子の曲と言えばメヌエット、といいたいところですが、こちらはワルツの気持ちに近いです。ワルツは円舞と書きますが、そのように円環をイメージした和声でできています。エコーがいい感じにリフレインしてきて楽できた曲です。
透明で神秘的な印象の少女――リシュナ・ティリア姫の純粋無垢な様子に胸を打たれた方もいらっしゃったんじゃないでしょうか。
その実、慣れ親しんだ場所や人の前では彼女なりの冒険やいたずら心をあらわにすることもあります。
「小さく悲鳴を上げると、詫びながら乳母に抱きついた」のくだりは、少女らしさ満開です。キュンとしてしまいますね。

107pから、リシュナと一緒に記憶をなぞる形で、先代女王夫妻の崩御とそのあとの子どもたちの様子を知ることができます。
人の思いを直観的に肌で感じ取り、理性で判断するグレイとリシュナの聡明さは、生まれと育ちによるものだなと思います。
幼くして家長になった兄グレイが孤独な決意をした理由とその姿を痛々しく感じたのは、妹リシュナだけではなかったはず。
そうそう。
実はここで暦が判明しますね。何気にね。
ヴァニアス歴1023年の〈処女の月〉です。
そして、従弟のアレクセイが登場し、彼とリシュナの関係性が判明することで、リンデン伯爵の目論見の一端が少し見えてきます。

フィナちゃんが出てきたら、ハイ、この曲。
Bメロは、リシュナの運命のテーマです。
どっかに使ってます、どこだっけ……。
ハープのアルペジオがヘミオラになってるのがにくいです。

そんなこんなで、グレイの旅のタイムリミットがうっすらと提示されたりします。
リシュナとフィナの危機感や、性格の差なども明確に感じられるやり取りがありますね。
フィナは兄と姉に守られながらのびのびと育った分、未だ真相からは遠ざけられていますが、持ち前のセンスで物事を直観的に理解しているようです。血の為せる業かしら。ただ、まだ8歳ですから、適切な言葉を選べるほどの語彙力はないのです。だから、言ってることが間違いじゃなくても、意図自体は姉には屈折して届いています。
「いつかわたくしも出会うのかしら。運命の人に……」
現実を重く受け止めながらも、その実、夢想家の一面をもつのはリシュナのほうだったり。
少女らしい、無邪気な空想の翼がいくあてもなく羽ばたいているような素の文が、彼女の清純さと本当の気持ちを物語っているのかもしれませんね。
1-2-2、おわり。

追記

106pリシュナの台詞は、スィエル教の精神を如実に伝える言葉だと思います。
知っている人がくすりとする部分でもあるのです。例えばココ。
「風に、空に、草に、花に、露に」
これはオペラ『フィガロの結婚』第一幕の六番、こまっしゃくれた色ぼけ小姓・ケルビーノのアリア”Non so piu,cosa son"の59小節目からの一節”all'aqua,all'onbra,ai monti, ai fiori,all'erbe,ai fonti,all'eco,all'aria,ai venti"のオマージュです。
「(私が語り見るのは愛のこと)水に、木陰に、山に、花に、草に、泉に、こだまに、風に(あるだろう愛のこと!)」
https://www.youtube.com/watch?v=QW7AD6K8DWo
ケルビーノは女とみれば下半身ごと反応するいわゆる思春期男子なので、素敵な言葉も上手なお歌も、そのすべてが(性)愛の道具なのですが……。ま、それはオペラのほうでお楽しみください。
ところで私は、副科声楽の試験でこちらを歌いました。ついでにオペラ試演会で本当にケルビーノをやったりもしました。懐かしいです。

音楽用語でいうところのアリア(伊;aria,英;air)は心情の吐露、つまりモノローグに値します。
七〇年代少女漫画の画面で考えると白いウニフラッシュとか、お花をバックにした「おお……!」みたいな、ああいう感じだと思ってもらえれば、わかりやすいでしょうか。
レチタティーヴォはその反対、ディアローグ。こちらはバッハのカンタータや受難曲でのエヴァンジェリストが歌唱する部分ですね。

ちょっと情報がつながってきて、ピンときた方もいらっしゃるかもしれないのですが。
風使いのフィナちゃんのサードネームがアリアだったり、セシルが風につぶやきを乗せるマナの歌だったり。つまり、そういうことなのです。

2019年6月3日月曜日

〈制作秘話第十回〉1-2-1

連載も第十回です。
ネタがあると続けられるものです。

さて、1-2に突入しました。
グレイが見た夢は、13歳のときの王位継承の儀です。
それは記憶どおりでもあり、少し違うものでもありました。
こういう、わかりやすい仕掛けについてはあまり触れないでおきますね。
グレイのテーマ。
一部和声的に誤ってます。いつかなおします……。
グレイのモチーフはピアノ。ワーグナーがやってるあれです。楽器ごとにロールがきまってるやつです。
ミルちゃんはギターで、ミラーはクラリネット、ラインは琴とエレキだったりします。
リシュナはチェロで、アレクはヴィオラ、フィナはヴァイオリン。
ルヴァはもちろんオーラ――ハーモニカですよ。ふふっ。

髭剃りには触れねばなるめえ。
顔そりは元来執事の仕事ですもの。ドラマ『ダウントン・アビー』ファーストシーズンでマシューが髭剃りを断るシーンは印象的でした。
首元に刃物をあてがうのは、刺客にとって好機以外のなにものでもありません。だから、ラインがちゃちゃっとやってくれてたんじゃないかな。でも、ライン自身は髭で困ったことはなさそうです。
そういうことで、グレイには身だしなみを自分で整えるという小さなミッションがまた一つ増えたのです。

ゲルステンブロートとハム、チーズの朝ごはんはとってもプロイセン風です。暖めたばかりのパンは、白パンよりも香ばしい香りをたっぷりとあたりにひけらかします。
現代のように油脂がたっぷりの、ではなくて、もっさりもさもさ、噛めばプチプチいう、ドイツパン。噛むうちに唾液へ溶け込む穀物の旨味は、少し酸味があって、日本人にはあまり好まれない様子。近年はヘルシーさに注目されて、茶色いパンやドイツパン専門店なども歓迎されるようになりました。チーズと合わせると、絶品なのです。

聖都ピュハルタを火薬庫と揶揄するミルちゃん。
二巻を思うと、本当にそうですね。迂闊に立ち寄れないわ。
さらっとスヴェリン金貨の話もしてます。
これはグレイが13歳の時の横顔で作られています。
ああ、それにしても。やっぱりミルちゃんは、ちょうちょのように自由でつやっぽい。
そんな美少女に頼られちゃったら、喜んでついて行っちゃうわね。
1-2-1、おわり。

2019年6月2日日曜日

〈制作秘話第九回〉1-1-7

1-1-7です。1-1もここで一区切り。グレイの一日が終わるお話でもあります。

※飲酒シーンがありますが、この世界では16歳の成人を迎えたら法律的には問題なく、そもそも衛生的な観点からワイン水もポピュラーな飲料水ですのでなんとなくみんなアルコールを飲んでいます。読者の皆さんのなかに未成年者がいらっしゃったら、日本の法律を守って飲酒してくださいね。アルコールパッチテストも忘れずに。

フィンランド留学時代、友人の家に招かれたとき、テレビはあってもほとんどつけず、飲み物とお菓子、それから大きな蝋燭を載せた机を囲んで、会話を楽しんだものです。それはとても静かな時間で、充実していました。
自分のアパート――日本人のピアニストで親友と暮らす部屋は打って変わって、うるさかった。私たちが恋愛映画を見てきゃあきゃあ言っていたからではなく、上の階でドラッグパーティーが毎日開催されていたからです。音楽も足音もうるさくてほんと、眠れなかった……。外国人留学生は節度ってものを知らねえんだ。深夜2時に扉をドコドコ叩くな。階を間違えてる。
そんな私も、フィンランド人学生とは違う時間帯――深夜に大学へ行っては練習をしていたので、人のことはとても言えませんが。

相手の言葉を真摯に受け止められる時間、そんな静謐を、夜は持っています。
セルゲイやミルが、大人の時間といわんばかりにしっとりとした空気を発しているのはそのためです。夜の闇、蝋燭の揺れる火影にセンチメンタルとメランコリィを感じるのは、あなたもきっと同じはず。
そして、グレイを連れ出した計画の本筋が、ミルによって明かされます。
グレイがかっこつけて「俺の部屋に行こうか?」とか言うの、ほんと恥ずかしいわね。
さらにセルゲイがのっかって、彼の女性経験についてまで言及するのは野暮ったらないのです。私の主義としては、書かないのがベストなのですが、セルゲイーーしかも酔っぱらったくそぢぢいだったら、絶対言う。だから、そのキャラクタ性を優先しました。現代ならセクハラだぞ。

ミルちゃんがとつとつと語る王家への敬愛と、リンデン伯爵への恨み、そして行動を起こさない少年王へのじりじりとした焦りと憤り。
グレイがいままで、うっすらと意識しながら無視してきたものの全てで、両頬をビンタされるような追及に、グレイもたまらず本音を零します。
言ってしまえば、実行せねばならないという考えを持った、正義の塊であるグレイだからこそ、これまで言えずにいたものともいえます。
ここで、するっとさらっと、国の仕組みと旅の目的が語られます。
ああ、そうなんだなあ。
グレイの心を突き動かしたのは誰でもなく、ミルちゃんなのです。
出会ったばかりなのに、いや、出会ったばかりの異物同士だからこそ、心の距離感を図りあえずに思いきりぶつかり合ったのかもしれません。
で、最後のやりとりの英訳をおいときます。

"See,I'm a Guest."
"A Guest worker,aren't you?"
The girl grinning to lean on handrail.
"OK, be my guest, your majesty."

最初に、こっちを思いつきました。
1巻の最後のほうで出てくるリシュナとシアのやりとり――It's my Jobのくだりも英語で出てきました。これについては該当箇所でお話ししますね。

「ノミとシラミ」の一節で、家人が吠えたのをよく覚えています。
「アーミュちゃんの用意してくれたふかふかのおふとんにノミとシラミがいるわけないだろう!」って。まあまあ、どうどう。農場だもの、いるかもしれないでしょ。いる方が自然なの。
でもアーミュががんばってくれたから、いなそうだったの。干し草のベッドマットは、本当に裏表を天日で干して湿気をとらないと虫がすぐわくんですってね。つまり彼の為によく干して、よく叩いてある、とってもすてきなお布団なのです。

さ。1-1-3あたりでは「俺もあのとき……」とか言っていた〈傀儡の少年王〉は、自分の心臓を革命に捧げると、やっと決意しました。それまで気持ちだけでは、したい、したいと言っていたのが、もう行動せねばならない段階にまで来てしまった。しかも、美少女に導かれるという成り行きに身を任せた結果です。
旅に出て初めて、自分の置かれている立場や世界が、ふっと輪郭づいたんでしょうね。
決断に伴う責任を、やがて彼は知ることになります。
1-1-7、おわり。

黄昏市場Ⅱお疲れさまでした

同人誌即売会「じゃない」イベントに、はじめて参加してみました。
黄昏市場は実際に役柄になりきってイベントを体感してゆくLARPをメインとした催しで、西成区民センター……げふげふ……イストワール国の港町を舞台に各国から商人が出店を開いているぞ、というイベントでした。

せっかくなので笛持って本持って参戦。
「こんなん着る場所ないよ」と眠っていた不思議な魔女風ドレスも日の目を見ました。

空想科学なアイテムや、魔法のこもっていそうなミステリアスなアクセサリー、オブジェなどを販売する店舗から「編み物」じゃないや鎖帷子の鎧屋さんや武器屋さんマント屋さんなど。
日本各地から職人さんが集まって、本当のマーケットを開いています。
明らかにお金が足りないやつ。

ちょっと反省なのは、笛を吹いていたらお客さんには聞かれる一方で、ご本に手を触れてもらえるわけではないこと。
笛を下ろして「ご紹介しましょうか?」はめちゃくちゃ効果てきめんでしたけれど。
普通の顔をして専門的なことをやっていたので、ちょっとずるかったかな。

イベントの雰囲気は、とってもよかったです。
お客さんも長居を前提にゆったりと何週もしてくれるし、出展者もそれぞれのコンセプトを強く持っていて、プレゼンがとても魅力的だし、なにより本気度が高いので「ファンタジー好き」の純度が高かったように感じました。
読み通り、一冊完結の作品をお求めいただけました。
初めての場所、イベントの規模を思えば、うちとしては上出来です。
イベントの日は想い出として段々遠ざかってしまいますが、本は手元にあれば、いつだって今日のものになります。楽しんでもらえたら嬉しいな。

所用がなければ、最後までいられたのですけれど。

主催者の魔女さんと二、三お話させていただいたように、うち(ちょこれいつ)や他の書店を絡めたクエストができたら、きっと面白いと思います。

来年もあったらいいなあ。

と、いうところで、春の行商はここで一区切り。
北ティアこと北海道COMITIA10への委託もしますが、自分がひいこら荷物を持って移動するわけではないので。
250あったチラシも無事にまき切りましたよ。
今日はそんな報告。

2019年6月1日土曜日

〈制作秘話第八回〉1-1-6

1-1-6です。
やったー! 外に出られたぞー!
というイメージの、フィールド曲です。
メニュー画面を開きたくなります。
素敵な農家、穏やかな田園風景、おいしい匂い。
とっても牧歌的な光景はグレイにとって絵物語だったもの。
空腹、ときめき、安堵、HOMEを望むグレイを迎えてくれたのは、小さな農婦アーミュでした。
アーミュAamu はフィンランド語で、朝という意味です。アアム、と発音するべきですが、それっぽくしてみました。英語だとmorning。明るく朗らかな印象です。日本語だと陽子。バッハは小川みたいな。

ミルちゃんの「覗くんじゃないわよ」は、からかいであり、フラグでしたね。
というか、普通、ほとんど初対面の男子に「覗くな」って言わないはずです。でも言ったってことは、日常的に「誰か」が覗こうとするってことですよね。
こんなふうに、1-1-6では日常のシーンを丁寧に描きました。
そういうところに人間性ってでると思うんですよね。
その証拠に、グレイがまだかっこつけてるのがお判りでしょう。
しかも、ちゃっかり歓待を受けて誰より先に落ち着いています。
日本的には、これって良くないのかもしれないのですが、ゲストがゲストらしくもてなされる、もてなしに身を預けるというのは、ゲスト側からのホストに対する礼儀だと、私は考えています。だから、これでいいの。グレイはお育ちがよろしいの。

でも、グレイが得意なのは体術です。
覗き魔も容赦なくぶっ飛ばそうとしています。
ここで参考にしたのは『中世ヨーロッパの武術(2012年/新紀元社/長田龍太)』シリーズです。ものすごい付箋を貼ってます。あと、家人を相手にシミュレートもしてました。ダンスの足譜と一緒で、実際に動いてみないとわからないことが多いです。これで相手からやり返される場合についても、想定できます。
武術はアタックよりも相手の隙をついて、相手の力をうまく利用したほうが消耗せずに済みます。……などとは思わず、思いきりやっちゃうグレイは、すんでのところで覗き魔の正体に気づきましたので、殴らずに済みました。

ちょくちょく名前だけが出てきていた男、老騎士セルゲイの登場は、とってもファニーでした。
彼の髪が濁ったグレイヘアなのを引き合いに、ちゃっかりミルちゃんの白銀の髪がフィーチャーされています。おろしたてのシルク、サテン、糸そのものが発光するかのような光沢を知る人なら、あの清らかさに胸を膨らませるはずです。さやかな触り心地にもね。
さらっとラインの毒見について触れています。これは6巻くらいで明らかになりますので放置。
アーミュがグレイにお休みのハグとキスをしてくれるところ、そりゃ、素敵なお兄さんだったら、ちょっと長めにぎゅうしちゃうよね。女の子だもん。
そして、おひげほっぺのちゅーは痛いよね、わかるよ、アーミュ。

閑話休題。
私のドイツの先生が、めろめろに可愛がってくださるのですが、再会のハグのとき、もうそれはにっこにこでほっぺにキスをくれるんです。フィンランドの友人とはほっぺとほっぺなんですけども。国でハグの深さとかも違います。
それをふまえると、セルゲイもきっと、目に入れてもいたくない女の子とのハグにはちゅうしてるはずです。……そのとき、女の子が喜んでいるかどうかは、さておき……。
若かりし日のセルゲイは面が二枚目、中身が三枚目の男でした。
そのお話も、書きたいところです。書く予定はあります。こちらも期待せず。
1-1-6、おわり。