その中で印象的だったのが、「尽くすことの難しさ」という一節でした。
尽くすという言葉には色々な意味がありますね。
ちゃんと辞書を引いてみました。
前提として、「もと、全く無い状態にする意」味合いをもつのだそうです。
そして、「考えられる限りの方法や手段を出しきって最善の結果を得ようとする」んだそうです。
これはいわゆる「ベストを尽くす」という文に象徴されていますね。
そして、派生した形で「私心を交えず、意義のあることだと信じられることに全力を注ぐ」という意味もあるんだそうです。
そして、動詞の接尾語的にも使えます。
この場合は、「全ての領域に及んで、それ以上することができない」、あるいは「次の動作や状態に移ることなく、そのままの状態が持続されている様子」を表せるんだそうです。
うん、難しく書いてあるような気がする。
でもきっと、概念としてはみなさんの持ちだと思いますからこれ以上は書かないでも大丈夫ですね。
ありがとう、新明解さん。勉強になりました。
赤い辞書とお別れする前に、ちょっとおもしろい例文があったのでのせておきます。
「秘術の限りを尽くして戦う」
あの、意味は解かるんですが、状況が知りたいです。
そう言えば、三省堂の新明解国語辞典は面白例文の宝庫だということで、以前テレビ番組でも取り上げられていましたね。すさまじいのは第四版だそうですが、私のは第五版。ニアミスか、おしい。
と、いうことで、なにかないかな、とロシヤンルーレットのようにいいかげんにめくってどん!っと一つの単語を指さしてみました。
年の瀬。
ああ、グッドチョイスですね。
意味です。
(それをうまく越せるかどうかが問題である)精算期としての年末。
えっと、個人的な感情がすごく見えますね。
これ、日本語の普遍的な意味合いを追及している辞書のはずなんですけどね。
小学生の時分、愛読書は辞書ですと言いましたが、十数年たった今も今も声を大にして言えます。
辞書が大好きです。
ああ、結論がずれて行った。
「尽くす」とき、必要なものは「妥協したがる自分を押さえる」ことだと思います。
人生に置いて妥協が全くできないことはまた違う意味で問題なのですが。
私は、「尽くす」の反対語は「妥協」だと定義したい。
いい加減ではなく。
ある程度頑張ったのにも拘らず、これでいいや、ここまででいいかな、と尻込みしてしまった瞬間、力を出しつくすことはかなわなくなります。
芸術の難しいところなのですが、妥協点と尽くし点を見出して、作品をどこで完成とするかも問われています。
高みといえば高尚な響きですが、やはり、今の自分ができる最高の事をしつづけることで、日々実力と完成をアップデートしてゆけるんだと思うのです。
それは、とっても疲れることです。
心も体も、神経も消耗します。
それでも創り出したい気持ちは止まらないし、音楽は生まれてくるし、言葉は結ばれてゆきます。
明日に新しい色が見えます。
体の細胞は死に、鼓動の回数を重ね、着実にゆっくりと死へ向かっています。
それは肉体が生きている証です。
ですが、毎日新しいアイディアが生まれてくる。
わたしはそれを、心が生きている証として受け止めたいと思います。
そしていつか、形になったものを誰かに受け止めてもらえたら、これ以上幸せな事はありません。
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