2015年1月30日金曜日

世界が広がる感覚

ここあは、かつて海外に一人で住んでおりました。
バックパックに楽器を詰めて、身一つで音楽をやっておりました。

そんな旅の記憶が歌になったのがこれなんですけど(宣伝

ここあはこれまで、お話しを書き、お話しを読んでもらう為に絵を描いてまいりました。
でも、物語の根幹には、常に音楽がありました。
この曲が好き、楽器が好き、作曲家が好き、国が好き、文化が好き、風が好き。
こういった特定のものを強調・お伝えしたいのではありません。

かのトールキンが著した『指輪物語』は、自身の言語学(とその発展の過程)をシミュレートする素材だったとも聞いています。

私にとっては、音楽学がそれに値するのです。
音楽の発展に言語が、ナショナリズムが関わらないはずが無いのです。

かつて人は、音を音と認識しました。
そして、雨をしのぐ洞窟の中で音と音とを知りました。倍音です。
原初の人々は倍音に神を見出しました。

音楽の歴史につきましては岡田暁生著『音楽の歴史』(中公新書)が入門に最適です。
そうして音楽が体系化され、一つの音から数多の音の集合体へと規模が大きくなりました。
和声の体系化についてはベートヴェンのソナタ分析書でもお読みください。(逃げた

音楽は、娯楽です。
制作するのは真剣勝負、なかなかに骨の折れるものですから、ひとくくりに娯楽と言うのは乱暴だと、反発される方もいらっしゃいましょう。
ですが、私はその点を指摘したいのではありません。
文化というのは、平和のうちにぐんぐんと育まれるものです。
食べるのもやっと、雨をしのぐのもやっとという生活では、音楽なんて楽しめる心の余裕なんか生まれないのです。たとい、音楽が好きな人間であっても。
その顕著な例が、演奏会だと言えます。
時とお金と移動する労力と。
それらを消耗してまでも、その場所へ行き、その音楽を聞くのです。
私たち演奏家は、そのことに対して感謝しか申し上げられません。
その代わりにはなりませんが、目一杯、喜んでもらえるよう尽力いたします。それだけです。

物騒な世の中ですから、「平和」(とかいてぴんふとよみたい)とか言いたくなったんだと思いますが、そこは本題じゃないんです。お喋りがどうも下手でいけない。

要するに、私が自分の能力を使ってあらゆるものを創り出すのは、多視点から創作物をアプローチできると言う選択の自由を提示したいがため、そして、物語の立体的な実感をしてほしいからです。

外を歩けばフレーズが生まれて、言葉は歌になり、曲は色彩を持ちます。
これは、私が白城ちょこほさんのイラストを貰った時に感じた、あの、ときめきとわくわく感です。

それを支えに、出来ることをできるだけやって参りました。
そうやってできた曲や絵、同人誌で、小説『黒獅子物語』(ほかにもあるんですけど、いまはこれだけ)の世界が広がるのを感じていただきたいのです。

ちょっと熱く語っちゃった。

結論。

私は、創るのが好きだから作っているわけではないようです。
誰かの為に、誰かに喜んでもらう為に、創っています。
そう、ほんの一瞬です。
ほんの少しの時間だけでも、日常からあなたを連れ出したい。
それが、私の望みです。

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